ブログ

京都ゴルフ倶楽部の近くのお寿司屋さん

昨日、友人と京都ゴルフ倶楽部の近くのお寿司屋さんに久しぶりに行ってきました。
友人は、部署は違いましたが、昔一緒に仕事をしたことがあります。
たまにしか会いませんが、同級生のように、仕事をした当時にすぐ戻ってしまいます。
歳はかなり下ですが、私のわがままを聞いてくれます。私より大人です。
お店のほうも、お寿司を握ってくれる大将と、昔一緒に仕事をした方の妹さんのお二人、ご夫婦でやっておられます。
奥様は、お姉さんにどこかしら似てます。
江戸前のお寿司。あまりお寿司のことは分かりませんが、丁寧に下ごしらえをしてあります。
贅沢なひと時でした。友人と二人、思わず顔が緩んできます。
大将もゴルフ好き。
やっぱりお客さんも、ゴルフがお好きな方が集まってくる感じです。
大徳寺の前にあります、雰囲気のある隠れ家のようなお店。
京都ゴルフ俱楽部のプレーの後の、お食事にぜひお越しください。

大徳寺 鮨長
〒603-8217
京都市北区紫野上門前町34
075-493-6555




おいしいちりめん山椒 通信販売もやっておられるようです。
詳細はお尋ねください。

京都ゴルフ俱楽部の売りものがございます。

お値段はご相談いたします。
ぜひご検討ください。

会員権

男性会員権も婦人会員権もございます。
正会員権・平日・週日会員権もございます。

京都ゴルフ俱楽部の歴史
ホームページから抜粋いたしました

伝統と格式は
歴史と風格と共に受け継がれていく。

第一章 太平洋戦争後の大プロジェクト
京都ゴルフ倶楽部は太平洋戦争後に建設され、上賀茂コース(かみがもコース、旧・東コース)、舟山コース(ふなやまコース、旧・西コース)を有したゴルフ場です。
終戦を境に、アメリカ合衆国を中心とした連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)軍政部から、「軍人のレクリエーションに」京都市内にゴルフ場を建設する計画が進められ、赤星四郎設計、鹿島組施工による総工費2億7千万円という大プロジェクトとなりました。

太平洋戦争後の大プロジェクト
第二章 膨大な費用によりプロジェクトの中止
一時は、膨大な費用がネックとなって、GHQ総司令官ダグラス・マッカーサーからの中止命令や、上賀茂神社関係者からのGHQへの直訴を受けて、一連の建設関係者が査問されることとなり一度は暗礁に乗り上げたかに見えました。

膨大な費用によりプロジェクトの中止
第三章 官民のチームワークによる契約の締結
しかし再三にわたる神社関係者への説得と、「ゴルフ場が京都の将来の観光資源になる」と期待する京都府知事の木村惇(当時)が、日本側の首脳責任者としてGHQへの矢面に立つとともに、数々のゴルフ場を手がけた安達貞市(後に当倶楽部理事長に就任)による、コース施工の引き受け、官民のチームワークにより、晴れて契約が締結される運びとなりました。

官民のチームワークによる契約の締結
第四章 日本で戦後初の新築ゴルフコース
そして、1948年(昭和23年)7月に6ホール、10月に9ホール、翌年3月には18ホールが造られ、日本で戦後最初の新築ゴルフコースが京都の地に完成し、1950年(昭和25年)朝鮮戦争による戦争特需で会員数の急増により、1958年(昭和33年)に西コース(現・舟山コース)が新たに着工され、1962年(昭和37年)に今の形として完成を見ました。

TOP
06-6454-2323

×